ねこしかにっき

大学生の日記です。さまざまな出会いと出来事と思いの記録です。出会った人々を印象で動物で例えています。ご了承ください。

スナフキンはナンパしない

日、友だちと二人で飲む約束をして

 


僕が目的地に向かって電車で移動している最中に

 

 

ドタキャンを食らいました。

 

 

 

 

 

 


居酒屋は予約してキャンセルはできないし、

 

 

 


目的地には着く間際だったので、

 

 

 


もう居酒屋に行くしかありませんでした。

 

 

 

 

 

 

最寄り駅について、まだ予約の時間までは余裕があったので、

 

 

僕が考えたのは

 

 

 

”誰かに話しかけていきなり誘う作戦”でした。


すみません、遠まわしに言いました。ナンパです。

 

 

 

 

 

僕は人が多く行き交う駅前を目を光らせながら歩き回りました。

 


そして話しかける文句を頭に反芻させて、

 


いつでもアタックできるような準備をしていました。

 

 

 

 


しかし、眼にはいる相手を見ては、

 


自分がしようとしている惨めさと恥ずかしさ

 


そして臆病さを感じさせられるだけでした。

 

 

 

 

 

 

結局一人で居酒屋の飲み食べ放題を楽しんで、

 

 

友だちは謝罪も含めぺいぺいで少し多めのお金をくれました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

の翌日、近くのしまむらエプロン

 

僕が密にあこがれるスナフキンのハンドタオルを手に入れました。

 

 

 

「本当の勇気とは自分の弱い心に打ち勝つことだよ。包み隠さず本当のことを正々堂々と言えるものこそ本当の勇気のある強い者なんだ」

 

 

 

スナフキンはナンパしないでしょう。

 

 

 

「この世にはいくら考えてもわからない、でも、長く生きることで解ってくることがたくさんあると思う。
 君たちも大人になればわかるさ。ある意味で、大人は子どもよりももっと子どもみたいになることがあるんだよ。」

 

 

 

スナフキン先生、僕に、孤独に耐えられる勇気と賢さをください。

 

 

猫様、少し確認させてください。

には親友と呼べる女の子がいます。

 

 

その子は雰囲気がゴールデンレトリーバーです。

 

 

名前を「リリ」とさせてください。

 

 

 

 

リリが「ぜひ僕に会わせたい」といい、会わせてくれた友だちがいます。

 

 

 

 

その子はモモンガだったので「モモ」とさせてください。

 

 

 

 


そしてモモとは一昨日、ふたりでお話をしました。

 

 

結果を言えば、僕は力強い人生の味方を得られました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

リリと僕は同じ性格の持ち主であり、リリモモが親友ということは

 

 

僕とモモの相性が合わないわけがありません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

モモは爛漫としていて、喋り方にも考え方にも闊達さがありました。

 

 

人間としてかっこいいところをもっていました。

 

 

そして、心の中で自分自身と細かく対話している人間でした。

 

 

 

 

 

 

 

僕は心の中で自分自身と細かく対話している人間に惹かれる傾向にあります。

 

 

 

僕もリリモモも、あともう一人大親友のドーベルマンも、その傾向にあります。

 

 

 

 

 

 


僕がこの三人にできるのは、

 

 

僕の弱みを見せられるということです。

 

 

もし隠していたとしても、それは見破られています。

 

 

 

 

 

 

 

 


僕はこの三人が大好きです。

 

 

世界一かっこいい人たちだと思ってます。

 

 

 

それはありのままの僕を認めてくれたから。

 

 

 

 

 

 

 

 

めちゃくちゃ自分勝手です。

 

 

 

 

 

 

 

でも神様。

それでいいんですよね?

 

 

 

 

 

 

 

 

今日の僕の神様

 

 

 

 

兄の心

 

 

日に兄が、地元から東京にいる僕に会いに来てくれました。

 

ただそれだけなのですが、

 

僕にとっては時の経つ速さと、

 

人は歳と共に変わっていくことを実感しました。

 

 

 


兄は僕にとって「影響を及ぼす人」でした。

 

今の僕の好きな音楽性や好きなスポーツ、

 

他人との接しかたももしかしたら影響を受けているのが兄です。

 

 

 

僕が大学生で、兄は社会人なのですが、

 

 

互いに「おとな」の域へ入ろうとしています。

 

 

 

 


はじめて二人だけで盃を交わし

 

 

酔いが回って赤くなった兄の顔は、

 

 

僕のこどものころ大好きだった兄ではなく、

 

 

人として平等になった、いち社会人であるように感じました。

 

 

 

 

 

 

いまは、兄にはなにか言われても反抗できるし、

 

 

言いなりになることはありません。

 

 

ただ、なぜか、それが寂しくなりました。

 

 

 

 

 

 


僕が変わったからでしょうか。

 

 

兄が変わったからでしょうか。

 

 

わかりませんが、兄は兄として、僕は弟として、

 

 

 

人生を生きていくことには変わりありません。

 

 

 

 

互いにお爺さんになったら、

 

いや、互いに死んで余の国で話す機会があれば、

 

兄が僕を弟としてよかったのか聞いてみたいです。

 

 

 

ちなみに兄を動物に例えると、フラミンゴです。

 

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シマリスは感じたままに生きる

日愛知県で行われたくるりのライブに行ったお話をしたのですが、

(ロマンチックな目の前 - ぺぺタランティーノ’s diary)

 

 

僕は東京住みなのでレンタカーを借りて

 

 

親友のドーベルマンと、彼のフィアンセのシマリスさんを連れ立って

はるばる車旅をしました。

 


シマリスさんは、あっさりした性格の持ち主

 

 

 


僕と本格的に話すのは2回目でしたが、

 

 

ありのままの堂々とした姿は

 

 

緊張しているはずの僕を巻き込んで、

 

 

長い長い車中旅でも、快適な空間の中でありのままでいれました。

 

 

 

 

 

それでも彼女はありのまますぎるので、

 

 

出てくる言葉も何も着飾っていません。

 

 

いや、頭の中自体が、タンクトップ1枚で虫網をもって蝶々を追いかける少女なのです。(いい意味でとにかく無垢で、ありのままということです)

 

 

 

 

 

 

 

 

回彼らと一緒に飲んだ時、

 

 

僕は高校時代のエピソードを飲んだ勢いで話しました。

 

 

 

 

僕の実家は雪国で、豪雪地帯。

 

 

そのなか、僕はだれも通らない深夜の橋の上でうずくまって極寒の一晩を過ごした日がありました。

 

 

言っちゃえば自殺を考えてそういうことをしたのです。

 

 

 


そういうことを僕は初めて人に打ち明けました。

 

 


話を聞き終わった彼女は、

 

 

 

 

 

 

 


「え、寒くなかった?」

と言いました。

 

 

 

 

 

 

 

 


寒かったけど、そこちゃうねん。

 

 

 

 

僕はドーベルマンとともに大笑いしました。

 

 

 

彼女は僕らはなんで笑っているのかわからないような顔を一瞬しました。

 

 

 

それも相まって、とても面白かったです。

 

 

そういうことも、可愛く済ませられる人柄は正直ずるいなと感じます。

 

 

 

 

 

 


僕がもし、小説を書いて

 

奇跡的に賞をとったとして

 

その作品をみた彼女には

 

 

 


「面白かったよ。あ、今度海行こうよ」

 

 

 


別の話をされて、一蹴されたいです。

 

 


たぶん、そのときが、僕のありのままを認められたときかもしれません。

 

 

旅路

 

を信頼したいのに。

 

なぜかできません。

 

それはたぶん考えすぎて疲れているだけです。

 

 

 

 

 

楽しかったはずの記憶も、信じていた思いも、

 

 

振り返れば「偽物だったかもしれない」なんて考えてしまいます。

 

 

そう考えれば、自分の感情がどんどんわからなくなります。

 

 

 

 


この人は無害だ。安心できる人だ。

 

 

 

そう思えど、何かに怯えている自分がひっそりと顔を出します。

 

 

そう思ってしまう自分を疑って、嫌悪するのです。

 

 

 

 

 

 

このループを僕は倦厭していたのに、

 

 

最近受け止めるようになりました。

 

 

自分の疲れのひとつの症状として考え始めました。

 

 

 

そしたら調子いい日と調子悪い日の周期が明確になりました。

 

 

 

そしたら僕自身を大事にできるようになりました。

 

 


何回も繰り返すだろう人間不信に乾杯!!!

 

 

 

 

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ロマンチックな目の前

 

 

はロックバンドのくるりが大好きです。

 

そして先日、くるりのライブに行ってまいりました。

 

最高でした。

 

 


好きな人の顔をなぜか思い出せないときのように、

 

いまは本当に経験したことなのか疑わしくなってしまいます。

 

それほど幸せな時間でした。

 

 

 


名古屋市公会堂の大ホールで行われ、

 

僕は3階からみていました。

 

僕の目の前の席は空いていて、一席空いた前の列には

 

仲睦まじいカップが座っていました。

 

 

 


くるりの音楽は、aikoaikoも大好き)のような

 

恋心を大きく膨らませてくれるタイプではなく、

 

 

僕の恋心を俯瞰して、優しく撫でて愛でてくれるような感覚があります。

(個人的感覚)

 

 

 


そのカップルはくるりの音楽を聴きながら、

 

 

女性がとなりに座る恋人の肩に頭を乗せて、

ゆったりとくつろいでいました。

 

 

 

 

音楽聞きながら、その光景を後ろから見ていると、

 

 

まるで映画をみているような気分になりました。

 

 

 

 

もし本当になんらかの映画を見ながらその光景をみてしまったら、

 

 

 

僕の恋心が、爆音を放ち始め、ホールは嫉妬の叫びで揺れるはずです。

 

 

 

 

 

でも、くるりの音楽が、その光景をも作品にして

 

 

僕に落ち着いた情緒で、そのカップルを受け止める力を与えてくれました。

 


そして彼らの幸福を祈る余裕さえくれました。

 

 

 

 


偉大なる音楽に尊敬。

 

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衝撃の事実

 

 

 

日、友だちのカンムリワシ(仮称)が僕の部屋に泊まりに来ました。

 

 


大学生の傍ら、モデルを目指している彼は、


それだけでも珍しいですが


あっさりしてそうで天然でも、実は繊細な彼を


僕は現代日本における天然記念物だと思ってます。

 

 

 

 

 

チューハイを一缶だけ乾杯し、簡易的な布団に並んで寝た僕らは

 


暗闇の中でかつての修学旅行の夜のように、互いにお話が止まりませんでした。

 

 

 


そこで彼が言いました。

 


「お前、女好きだよな」

 


めっちゃびっくりしました。

 


まさか俺が…なんて考えてしまったのです。

 

 


僕が思う女好きというのは


浮気性で、自由奔放で、いろんな女性に手をかける男にしか当てはまらないものだと思ってました。

 

 


マイナスイメージが僕の頭にあったので、なおさら衝撃的だったのです。

 

 

 


「俺が!?」


「だって好きになったら、よく告白してるじゃん。すげいと思うけどな」

 

 

 

 

そう言ってくれました。

 

彼は僕が長らく彼女いないことも、何回もの告白に敗れ、


痛い思いをしているのも知っています。

 

 

 

 

 

どうやら彼は、悪い意味で言ったのではなく、

 

 

めげずに何回でもチャレンジする僕の愛の根性を褒める意味で

 


「女好きだ」と言ってくれたみたいです。

 

 

 

 

 

 

まあ、でも。

 

 

 

 

 

 


普通の意味でも、

間違ってはいないよ。

 

 

 

 

 

いや…このままで本当にいいのかな。